* 富山県美術館アトリエでの制作プロセス
(私自身が撮りためた制作風景)
 2018 年 12 月10 日 〜 2019 年 1 月17 日 / 2019 年 1 月23 日 〜 2 月1 日


* Creation process at Toyama Prefectural Museum of Art and Design’s Atelier.
  December 10, 2018 - January 17, 2019 / January 23-February 1, 2019

 

* 2019年2月28日に放たれた言葉より、繕う。

 2018年11月、私は台湾を旅しました。現住民族の村を幾つも廻ったり、老街やお寺教会を巡り巡り。振り返れば小籠包も食べず、故宮博物館にも行かず。濃いこゆい7日間でした。
 しかし、旅の最後のさいご桃園空港で、ノートを無くしてしまったんです。中には細かな記録が記され、いろいろ貼り付けてあったのですが、結局出て来ませんでした。もう見つからないと悟った時、私の中のまだやわらかで温かな記憶を必死に絞り出し、綴り直しました、どんなつぶさな瞬間さえも。その量は無くしたノートの100倍にはなりました。けど、そのずっしりした束を手にした時、でも、この中からも漏れている記憶は必ずあって、それどころか、大事に綴り留めた思い出すらもいつの間にか、私の「海馬」からあふれ出し、あぶくみたいに消えてしまうのだろうなって。
 けれども、私の「海馬の網の目」に、かろうじて残っている思い出たちも居て、しぶとく、ふわふわ、引っかかっているのではないかと。それらは、私の海馬の『回路』の中で、ずっと、ただよいさまよい続けるのだろうと。今回、そういう私の頭の中を編んでみようと思い、次のレジデンスの地—富山で、制作が始まりました。これは、富山での記憶が台湾のに継ぎ足されてゆく、今までの私には殆どなかったプロセスでした。
 3ヶ月、ずっとずっとひたすら編み続けー。
網目や、さまざまなものへと絡みゆくさまは、台湾で見かけたガジュマルの樹にもインスピレーションを受けています。とくに、老街や原住民族の村でめぐりあった、人の生活とガジュマルの枝ぶりの共存は、私の印象に強く残りました。取り込み混ざり合い根を張り絡みつき枝を伸ばし、やがて周囲のあらゆる物を呑み込むように、自分たちの一部にしてく姿。

 素材は全て台湾と富山で出逢ったもの。台湾で見つけた道具や、富山名物鱒寿司の柵を使ったりもしました。しかし、大部分は、指や手や腕で自分自身の体を使って編み縫いました。この旅をあるいた私の身体そのものが、この作品の針となる。糸に絡めた私の手首は、思い出の止まり木になる。
 この作品は、ごちゃごちゃ入り組んだ、他人からは無秩序な世界に見えるかもしれません。しかし、私にとって、蜘蛛の糸のように整った『回路』なのです。中央のちいさな網目の作品は、「脳のシナプス」を表しています。人の頭の中は棚に例えられることもありますが、まさに糸やものを張り巡らせながら、私の台湾富山の記憶を整えて行ったように感じています・・・
台湾でかき集めた糸は気づけば赤と金色だらけ・霧台の原住民族の95歳のおばあちゃんが作った籠・台北のひょうたん本屋さんの猪年用絵本・窈さんお薦め火鍋屋店長さんに貰ったコップ・・・富山は記録的雪少なく白の糸を繰り出すも結局は夏の雷鳥みたいになった編み目・きれいなままの長靴・”幸福の王子”のようなおばあちゃんがくれたさまざま・雪の神様に
なった土人形・・・などなど、1つひとつ物語があり。私の『回路』の中で、呼吸するように揺れているのです。
 なお、このインスタレーションは、この場限りのものです。例えば半年後に同じ作品を並べたとしても、きっとどうしたって、違う組み方になる。新たな180日の記憶が流れ込んだ私の『回路』へと変貌しているから、です。

Photograph:Sayaka Akiyama